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雪崩トランシーバーが日本で普及した理由

秀岳荘社長のひとこと「原価で売りましょう。儲けなどいりません」〜雪崩トランシーバーが日本で普及した理由〜
※ 拡散の協力をお願いします!
白馬、宇都宮、東京(オンライン)の講演会「雪崩から身を守るために」の申込登録が始まりました。
雪崩事故防止研究会ASSH

講演会の趣旨と日程

  • 第2回白馬講演会11月13日(土)白馬村ウイング21
  • 第4回宇都宮講演会11月27日(土)宇都宮大学農学部大講義室
  • 第3回東京講演会11月28日(日)オンラインのみ、青山学院大学
  • 第29回札幌講演会10月30日(土)北大高等教育推進機構大講堂&陸上競技場

 1991年12月、日本で初めて雪崩トランシーバー(旧称雪崩ビーコン)が、売り出された。ドイツ製の「オルトボックスf1focus」という機種で、(株)マジックマウンテンが輸入した。1台、3万6千円ほどの値段だった。北大山スキー部は40台、山岳部は15台、ワンダーフォーゲル部も15台、計70台を購入することにした。
 私は、登山用品店秀岳荘との値引交渉を任された。金井哲夫社長(当時、現会長)に「70台買いたいので安くして欲しい」と頼んだ。私たちにとって大金だったが、命を守れる装備なら買うしかない。でも、少しでも安くして欲しい。創部以来、山岳部は17名、山スキー部は5名、合計22名が雪崩で死んでいる。その頃、雪崩対策装備は“雪崩紐”しかなかった。毛糸やナイロンの細引き20㍍を携行。雪崩の危険があるときは、長く伸ばして行動する。もし雪崩に埋まったら、20㍍の線は捜索の手がかりになる。雪崩紐で救助された事例を聞いたことがない。しかし、私たちが頼れるのは“雪崩紐”しかなかった。
 その年の1月、初めて雪崩トランシーバーの捜索を見学していた。私は驚愕した。これを使えば生存救出できる!と。
 金井社長に雪崩トランシーバーの有効性を力説した。すると、
「原価で売りましょう。儲けなどいりません」
 金井さんが静に、微笑むように答えた。
 雪崩事故防止研究会の講習会でこの70台の雪崩トランシーバーを使い、捜索練習を行った。受講生はその威力に驚き、「買いたい」と思う。毎年、毎年、講習会を重ね、北海道で雪崩トランシーバーが普及していった。そして、日本全体へと普及の波が拡がったのだった。

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