“空の救急車”と“空の消防士”〜その2
※第28回講演会「雪崩から身を守るために」の詳細は、ASSHのHPを参照。 http://www.assh1991.net/
※申込み・登録は、10月9日現在234名です。まもなく定員250名に達します。会場をさらに確保し、定員を増やす準備を進めています。
「山でケガ人を自力搬送するのを止めませんか」
私がそう思うのは、南極観測隊セール・ロンダーネ山地地学調査隊のフィールドアシスタントを2007年から3年連続で務めたからだ。活動したセール・ロンダーネ山地は夏でも氷点下30℃、風速30m/秒のブリザードが吹きすさぶ。そんな南極で毎年、3ヶ月間テントで生活し、地学調査を行った。
国立極地研究所から参加を打診されたとき、「日本の南極観測隊で初めての活動形態。クレバスが多く、とても危険。過去に雪上車がクレバスに転落する重大事故が起きている」と説明された。
セール・ロンダーネ山地へは、南アフリカのケープタウンから大型輸送機で南極大陸のロシア基地へ飛び、さらにソリ付きの小型飛行機を乗り継いで行く。降り立てば、テント生活が始まる。迎えの飛行機が来るまで自分たちだけ、孤立無援。私以外は、全員が研究者。研究者のすべてをサポートするのが、私の任務だ。
「一人もケガをさせず、一人も失わないで帰国する」
それが、私の究極の任務と考えていた。
最大の危険は、クレバスだ。スノーモービルごと転落すれば、大けがを負う。雪に覆われ、見えないクレバスが多かった。スノーモービルの後方で、「ドーン」と雪が落ちる音をいつも聞いていた。最初の年、ケガ人はキャンプに連れて帰り、救助を待つ方針だった。
毎年私たちは、昭和基地で越冬経験がある救助隊長が勤務する新潟県村上市消防本部で高度救急救命訓練を実施した。救急救命士と救助隊員から、想定される病気、ケガへの対処法を学び、持参する医療器具、薬品を充実させた。隊に医師がいないので点滴、縫合の練習もした。問題は、頭部への損傷とか、大腿骨の骨折、大出血だった。
訓練に同行した越冬隊の医師が、酸素ボンベを6本持って行くべきだと主張した。1本で1時間の酸素吸入が行え、酸素ボンベが6本で6時間。しかし、救助隊が来るまで5日間かかる。私が結論を出さず、研究者に議論させ、考えさせた。
「酸素ボンベを持って行かない」
という結論が研究者全員一致で出たのだった。それは、ひとりひとりが「死を覚悟」することを意味している。「死の危険」を悟れば、南極での行動が変わる。
2年目、札幌のノーライトにFRPの輸送用ソリを特注した。クレバスに転落したケガ人の全身を固定して吊り上げる機能、テントが破壊されれば、シェルターの機能を兼ね備えた輸送用ソリだった。事故への対応方針を現場でテントに収容、救助隊の到着を待つことに変更した。ケガ人をキャンプへ輸送するほうが、リスクが高いと考えるようになったからだ。私が救助ソリを牽引し、常に医療機器、薬品、テント、食料、コンロ、寝袋などを運んだ。
3年間、ひとりもケガをさせず、ひとりも失わず、全員を日本へ連れて帰ることが出来た。2010年、私は任務を完遂した。
山で事故が起きたとき、あなたは万全の救急救命処置ができるだろうか。ケガ人のことを考えれば、消防(119)に通報し、“空の救急車”と“空の消防士”に出動してもらうべきだ。