それぞれが生と死に向き合う人生を歩んでいる3人
高校生ら8人が死んだ那須雪崩事故から3年が過ぎた。
生還した三輪浦淳和さん(じゅんな、当時16歳)が、ファイントラック東京BASEで開催した「雪崩学校」第3回「那須雪崩事故の真相」の講演を聞きに来てくれた。小林尚礼さん(なおゆき、写真家、京大学士山岳会)も来てくれたので、3人の記念写真を撮った。 3人それぞれが、生と死に向き合う人生を歩んでいる。
1991年、京大学士山岳会と中国登山協会はチベット自治区と雲南省の境界に聳える梅里雪山(メーリーシェシャン、6740㍍)の初登頂を目指した。京大の隊員は11名、中国の隊員は6名。夜、ベースキャンプが巨大な雪崩に襲われ全員が死んだ。寝袋に入ったままテントの中で雪崩に埋まって死んだのだ。小林さんの同級生が隊員にいた。同級生の遺体だけでなく、隊員みんなの遺体を小林さんは梅里雪山から下ろしている。
「梅里雪山」(山と渓谷社)http://www.yamakei.co.jp/products/2810047220.html
小林さんの遺体収容活動はまだ続いているし、山麓に暮らす少数民族の少女を日本に招き、大学で学ばせたりして梅里雪山を聖山と崇める地元民との交流が続いている。
私たち3人の歩む道は同じようであるけれど、それぞれが違う道だ。互いの道は、果てしなく続く。また、いつか、どこかで会いたいと思う。そして、会ったら互いの旅を語り合いたい。
私は今、故郷松山にいる。生家は遍路道に面し、春になるとお遍路さんが行き交う。お遍路さんは弘法大師とともに遍路をしているという意味で、「同行二人」と記した菅笠を被り、お札入れを首から下げている。お遍路さんが門付けをすれば、お金や食べ物など施し物をあげるのが四国の習わしだ。宿や食事を無償で提供する“おせったい”は、今も行われる。お遍路さんを粗末に扱えば、罰が当たると信じているからだ。そんなことより、お遍路さんを助けないと行き倒れ、死んでしまうことをみんな知っている。母の故郷には、行き倒れたお遍路さんの墓が田んぼの畦道に幾つもあった。「お遍路さんにあげておいで」と母に言われ、お金や米を手にしてお遍路さんの前に立ったことを思い出す。
子供心に、「お遍路さんはどうして旅をしているのだろう?」と不思議に思っていた。
お遍路をする人は悩み、弘法大師に祈ることで救いを得ようとしている。自然の中を旅し、人々の優しさに接し、救いの答えを見つけるのだと思う。この春もお遍路さんが行き交っている。
遍路道や寺で眼が合えば、互いに会釈する。優しく、慈しむ眼差しが、お遍路さんにも私にも浮かぶ。
「那須雪崩事故の真相」